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情報による社会的制裁は「いじめ」とは別物か?

 大相撲の「横綱」という地位に対する理想像が異なる現役横綱と元横綱がいる。

 一方は常勝こそ横綱の地位の証とする人間,もう一方は「模範的存在」であることを重視する人間。

 負けた後に悔しがったり,審判に対して不平不満を態度で示したりするのは「大横綱」とは言えない,とする後者の人間にとって,勝ち続けてきた現役横綱が目の敵であることは想像できる。

 「膿の出し切れない組織」の代表例になってしまいそうな相撲界だが,

 国際化の波に押し流されて消え去りそうな「伝統文化」がまだかろうじて維持されているのも相撲界だろう。

 「勝ちにこだわる横綱」がいても面白い,という人もいるだろうし,

 「そういう横綱の弱く哀れになった晩年」を楽しみにしている意地悪な人もいるだろうし,

 「人間が小さい勝負師」の後に出てくる「本物の横綱」が際立つことを楽しみにしている人もいるだろう。

 相撲に興味はないが,揉め事を飯のタネにして生きている人たちもいる。

 「今が叩きどころ」と思うと,握っていたネタや,過去のネタを振りかざして儲けていく。

 問題を起こした人間というのは,警察や検察の取り調べ,裁判,罰金刑などよりも,とにかくマスコミなどによるバッシングが何よりもキツイ「制裁」になるのではないか。
 
 裁きどころを知っている人たちほど怖い存在はない。

 子どもがもしも,問題を起こした特定の人間に同じような「社会的制裁」を加えたら,学校は「いじめ」と認定しなくてはならなくなる。

 同じような行為を「いじめ」とは呼ばなくなる境界線とはどこにあるのだろう?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より