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相撲界,芸能界,スポーツの世界,政治の世界,学校現場に共通する点は?

 立場が上の人間が,下の人間に暴力をふるう。

 無理難題をおしつける。からかって楽しむ。

 相撲界だけで起こっている問題ではないが,「日本の伝統文化」を代表する世界でもあり,

 暴力への風当たりは強い。

 普通は暴力やいじめに耐えられる人間しかいない世界であるから,

 学校現場とは違って,そのエスカレートの度合いが大きくなりがちなのだろう。

 「やめてください」と言えない雰囲気は,どこにでもあるだろう。

 しかし,そういうことが言えない社会であるから,「弱い」のだと思われる。

 相撲やスポーツの世界では,怪我などもつきものだから,負傷することで

 「罰が当たったのだ」と解釈して,不満を解消してきたのかもしれない。

 立場の上のものの不正は組織全体でなかったものとする,あるいは,

 下部の人間に責任を押しつけて,尻尾切りをするという図式は,ありとあらゆるところで繰り返されてきた。

 様々な組織が繰り返してきた図式が,国の中枢でも行われたら,どのような結果になるだろうか。

 「ざまあみろ」ではすまなくなるだろう。

 国の中枢は,世の中の不正に目を光らせ,自分のまわりににじり寄ってくる悪しき者たちを,肥え太らせる役割を担ってはならないのである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より