ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 12月4日 データ分析で野球が変わった | トップページ | 12月5日 子どもと教師を「捨て石」にする人間 »

ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力

 また小難しいカタカナ語が出てきたなと反発される向きもあろうが,

 「ネガティブ・ケイパビリティ」は日本語に訳しにくいことこの上ない。

 しかしこの「能力」を重視せずにはいられない人々がこれから増えていくはずなので,あえて訳さないというのも一つの方法である。どう解釈したらイメージがしやすいか。

 ネガティブはポジティブの反対語だから,「消極的」「否定的」が真っ先に思い浮かぶかもしれないが,

 「プラスとマイナスのマイナスの方」「正と負の負の方」というのがここでは一番ピッタリくる。

 ポジティブ・シンキングを「プラス思考」というのに対し,ネガティブ・シンキングを「マイナス思考」と呼んでいるように。 

 次に,ケイパビリティという言葉だが,

 経営学や防衛産業で使われている「手腕」「能力」「性能」という意味で,

 単語ではアビリティ(これも「能力」)の前に「cap」がついているものである。

 「able」と「capable」という単語の意味はほぼ同じようだが,

 「capable」の方には「受け入れる余地がある」という意味で使える。

 「capacity」(能力,最大限の収容能力,包容力,度量)という単語に

 やや近いイメージだろうか。

 つまり,「ネガティブ・ケイパビリティ」とは私なりに直訳すると

 「負の事象を受け入れる力」が一番イメージに合っている。

 だれがどのような意味で使い始めた言葉なのかというと,帚木蓬生さんの著書によれば,詩人のキーツがシェイクスピアに備わっていた能力だと指摘していたこととして紹介されている。


>どうにも答えの出ない,どうにも対処しようのない事態に耐える能力

>性急に証明や理由を求めずに,不確実さや不思議さ,懐疑の中にいることができる能力

>(詩人がアイデンティティを必死に模索する中で,物事の本質に到達する前の)宙吊り状態を支える力

>不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ,不思議さや疑いの中にいる能力

>対象の本質に深く迫る方法であり,相手が人間なら,相手を本当に思いやる共感に至る手立て

>〈問題〉を性急に措定せず,生半可な意味づけや知識でもって,未解決の問題にせっかちに帳尻を合わせず,宙ぶらりんの状態を持ちこたえる(能力)

>(学校教育や職業教育では)問題が生じれば,的確かつ迅速に対処する能力が養成されるが,ネガティブ・ケイパビリティは,その裏返しの能力です。論理を離れた,どのようにも決められない,宙ぶらりんの状態を回避せず,耐え抜く能力です


 キーツが文学・芸術の領域でその有益さを示したネガティブ・ケイパビリティを精神療法の場においても必須の要素だと考えたのがビオンという精神科医,精神分析医であった。


>ネガティブ・ケイパビリティを保持しつつ,治療者と患者との出会いを支え続けることによって,人と人との素朴な,生身の交流が生じるのだとビオンは説きました

>(ビオンは同じく,精神分析医も,患者との間で起こる現象,言葉に対して,同じ能力が養成されると主張したのです。つまり,)不可思議さ,神秘,疑念をそのまま持ち続け,性急な事実や理由を求めないという態度


 ビオンが抱いていたとされる危惧は,そのまま教育者,企業の経営者などにもあてはまることと考えられる。


>精神分析学には膨大な知見と理論の蓄積があります。若い分析家たちはその学習と理論の応用ばかりにかまけて,目の前の患者との生身の対話をおろそかにしがちです。患者の言葉で自分を豊かにするのではなく,精神分析学の知識で患者を診,理論をあてはめて患者を理解しようとするのです。これは本末転倒です。


 日本の文化の事例にあてはめてみると,「道」を究めた人が行き着く「無の境地」というイメージに近いものだろうか。

 物事の本質を見極める上で,山の頂を想像し,「頂点」から展望が周囲に開けた状態,「ものの見方」よりもっと広い視野が持てて,焦点もあちこちに浮遊できる状態から始めるという方法も参考になった。

 帚木さんの著書には,黒井千次氏の「知り過ぎた人」という随筆の一節も紹介されている。


>それにしても,とあらためて考えざるを得なかった。謎や問いには,簡単に答えが与えられぬほうがよいのではないかと。不明のまま抱いていた謎は,それを抱く人の体温によって成長,成熟し,更に豊かな謎へと育っていくのではあるまいか。そして場合によっては,一段と深みを増した謎は,底の浅い答えよりも遙かに貴重なものを内に宿しているような気がしてならない。


 この文章が紹介されている第三章「分かりたがる脳」の最後を,帚木さんは次のように締めくくっている。


>全くそうです。ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく,謎を謎として興味を抱いたまま,宙ぶらりんの,どうしようもない状態を耐えぬく力です。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して,耐えていく持続力を生み出すのです。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ
 

« 12月4日 データ分析で野球が変わった | トップページ | 12月5日 子どもと教師を「捨て石」にする人間 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

レジリエンス」カテゴリの記事

教員採用試験」カテゴリの記事

リスクマネジメント」カテゴリの記事

指導主事」カテゴリの記事

ネガティブ・ケイパビリティ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 12月4日 データ分析で野球が変わった | トップページ | 12月5日 子どもと教師を「捨て石」にする人間 »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より