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底辺での思い出が頂点になる

 私がかつて勤務していた中学校が,「底辺」に位置しているという理解は,正しくて誤っている。

 常識では起こりえない問題行動が頻発する。

 親も自分の子どもをどうしていいかわからないのだが,教師たちは文字通り路頭に迷っていた。

 校長や教頭はひたすら教員の悪口ばかりを言う。

 教員は校長や教頭の悪口ばかりを言う。

 親は教員の悪口ばかりを言う。

 教員は親の悪口ばかりを言う。

 子どもたちは・・・。

 こういう人間たちのせいで,すべてを台無しにされ続けてきたのである。

 学力は低い,問題行動(犯罪行為)は起こす,秩序は乱す,部活動はさかんでない・・・。

 「こういう中学校に自ら進んで異動しろ」「荒れた学校で働くことの意義は大きい」などと堂々と語れる指導主事は今,どのくらいいるだろうか。

 かつてそのような指導主事が多かったのは,自分たちがそこで多くを学んで指導的な立場になれたからである。今では・・・・消耗戦が続く現場からはため息しか漏れてこないのだろうか。

 荒れた学校でよくある光景を最初に紹介したが,これをなくすだけで学校はすぐによくなってしまう。

 他人の悪口を言う暇があったら,子どもが必死にもがいている姿を自分はしっかり「見ていた」という痕跡を残せばよい。いちいち褒める必要はない。「見ていてくれている」ということが,どれだけの安心感や満足感をもたらしてくれることか。
 
 私の勤務校では,たまたま,高度なネガティブ・ケイパビリティを持った教員が多かったせいか,荒れは次第に姿を消していった。

 教育の専門家を名乗る者の中には,「底辺」の思い出が「底辺」のままで終わっている人間がいる。

 そんな人間から学べることなど一欠片もないだろう。

 さっさと「底辺校」から逃げ出した人間の言うことに耳を貸す必要はない。

 その場に「居続ける」ことでしか得られないものが山ほどある。

 論文をいくら積み上げたところで,何の意味もないことは現場の教師なら痛いほどわかるだろう。

 地面をほじくって地中深くに沈んでいくような研究は意味がない。

 荒れた学校での1日1日は,山頂が視界に入らないタイプの登山に似ている。

 同僚や生徒たちと一緒に頂上で見た景色は生涯忘れることのできないものになる。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より