12月9日 弱い立場の人を利用する卑怯を許さない
弱い立場の人たちが,強い立場の人に利用されることがある。
強い立場の人たちが,弱い立場の人たちを助けたり救ったりするという名目で。
表面上は,弱い立場の人たちのための行動に見えても,
実際には自分の利益のための行動でしかないものもある。
教育の世界では,弱い立場にいる子どもだけでなく,弱い立場にいる教師も全部ひっくるめて利用しようとしている人間がいる。困っている状況につけ込んで,「実証的なデータがある」ことを根拠に,罠にはめていく。どうしたら教師が騙されずにすむのか,弱い立場の教師たちは真剣に考えていかないといけない。
これからの社会は,技術の進歩によって,障害をもっている人たちの不自由が少しずつ減っていくことになるだろうが,それが本当に必要な技術なのかどうか,障害をもっている人の側も考えていくべきだろう。
「弱さ」はだれもが持っている。障害はないと自覚している子どもや高齢者,健康を維持している妊婦さん,非正規雇用の人たちに限らず,だれもがみんな「弱さ」を持っている。
「弱さ」を無理矢理「強み」に変える解釈をする必要はない。
種類は異なるが程度が同じ「弱さ」を持っている人間同士で助け合うことができているから,だれもが困らずにすむ社会が成立してきたはずである。
社会の常識の中には,あまりに「当たり前」すぎて,いかに価値の高いものかを気づけずにいるものが多いかもしれない。
「障害者の日」には,何が社会の常識なのかをふり返ってみるのもよいだろう。
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