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12月6日 声の大きい人間は信用するな

 必要以上と思われる大きい声で話す人間がいると気づくと,たいていそれは教師である。

 「この人,耳が遠いのだろうか?」と誤解する方もいるだろう。

 教師は,時と場合によっては,かなり大きな声を出さなければならなくなる。

 重要な指示を出すときに,ざわついたままだと困るからである。

 静かにさせるコツが使える場面もあるが,使えない場面には仕方なく大きな声が必要になる。

 ただ,職業病のように,常に大きなボリュームで話す人がいて,こういう教師は絶対に信用するなと子どもにも自分にも言いきかせている。

 こういう人間とまともな話が続けられるほど教師という職業の人間は我慢強い人しかなれないものなのだが,そういう甘やかされた環境の中にあって,度を越した何かを持ち続けてしまう人間が教師にはいる。

 相手が嫌がっているとか,困っているという状況が理解できない教師に,進んでかかわりを持とうとする教師や子どもはいないから,ますますこういう人間は「裸の王様化」していく。

 私は聴覚が異常なほどに敏感で,以前にも書いたかもしれないが,オーケストラの演奏など絶対に聴いていられない。

 音の日には,子どもの寝息が聞こえる静かな夜を過ごしたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より