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12月5日 子どもと教師を「捨て石」にする人間

 ボランティアとして人間を「利用」できる組織がある。

 文字通りの「捨て石」なら,相手にわたるから,持ち主が代わるだけで「生かされている」状態は残る。

 しかし本当に捨てられてしまう石は,二度と同じ場所に浮かび上がってはこない。

 SNSでのやり取りを「高みの見物」ですませられる場所にいる人間には,現場での痛みは理解できないだろう。

 自分が勝手に痛い思いをすることができても,相手の痛さに気づけない人間というのがいる。

 本人がつらそうにしていれば,一見すると,まとな人間=感情のわかる人間に見えなくもないが,他人の痛みが理解できない人間に,教育を語る資格はない。

 自分の経験則を未知の集団に対して無責任にあてはめようとする人間を,教育現場に出て行けない人たちはどう思っているのだろう。社会人になったとき,「こういうのが使えない上司というのか」ということがよくわかるのだろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より