ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 12月29日 国際生物多様性の日 | トップページ | 12月31日 6×3×2×3=12+24+72=4×9+8×9 »

12月30日 6・3・3・4制

 サウジアラビアで義務教育が制度化されたのは,2004年ということで,まだ最初の年の小1は大学生になったばかり,ということでしょう。日本と同じ6・3・3・4制が採用されたということです。朝の6時とか7時とかに授業が始まるそうで,農耕で生きてきた人が多い日本でも,同じ始業時間にした方がよいのではないかと思ってしまいます。

 私が秋に訪問した小中一貫校では,義務教育を4・5制に移行するチャンスをうかがっているようです。

 5年生から制服を身をまとうと,もはや小学生には見えません。

 授業の態度もまるで違っていました。

 これで学力の向上度合いが一気に高まったら,日本中に波及する可能性もあるのでしょうが・・・。

 私はこのブログで何度も書いていますが,現在行われている日本の学習評価の仕組みは,おそらく海外の教育者には理解不可能だと思います。そもそも外国語への翻訳が不可能な「規準」があるのですから。

 「おおむね満足」が「b」(「3」),「十分満足」が「a」(「4」)の,「おおむね」と「十分」のカッティングポイントはどこにあるのか?

 さらに,「十分満足の中でも特に優れている者」(「5」)って何?

 授業風景を見る限り,そもそもその指導内容では,不十分すぎる,という場合でも,評価が行われてしまうのです。指導の質が,能力向上を左右することくらい,研究者でなくてもわかります。

 ある教室では,教師はほとんど何もしていなくて,子どもだけで課題に取り組んでいる。

 この方法を正当化しようとする教師は,定期考査問題を「工夫」すればよいのです。

 授業で扱った課題だけをテストで丸丸出題してあげれば,できるのは当たり前でしょう。

 中学校レベルの教育内容で,知識や思考の転移が容易に図れるようなものはごく一部です。

 取り組まなかった課題の内容は,できるようになっていない,と考えるのが普通でしょう。
 
 でも,授業で扱っていないから,出題しない。ということは,評価の対象にもしていない。

 小学校では,学習した部分だけの単元テストをやる,という方法になります。

 学習していない部分は,配って終わり。子どもは大喜びです。 

 小学校の単元テストの内容を見ると,応用力が必要な問題はいっさいなく,ノート丸写しでもできるような問題ばかりで,私なら全部できていてやっと「b」にしかならない。しかし,小学校の教師たちの規準はもっと低いはずです。

 人によって違いがありすぎる学習評価が,入試の合否を左右する決定的な資料になり得るわけがありません。

 中学校の場合は成績一覧表の調査が行われていますが,小学校にはそれがない。

 担任が恣意的に高く(あるいは低く)評価を記入していても,バレない。

 今,世の中にはバレていなければすべて正義,バレたら悪,という価値観が蔓延しています。
 
 だから,中学受験では,小学校の成績を合否の判断材料に使わないところがほとんどでしょう。大学入試と同じです。

 もしも日本で落第あり,飛び級ありの仕組みができたら,こんな学習評価の仕組みでは持ちません。

 学校制度をいじろうとするよりも前に,学習のあり方について,教師の指導をチェックできる仕組みを整えるべきでしょう。そのときに,統一的な学力テストで判断しようとするのは誤りです。近い将来,AIを使った音声データの解析システムができあがるでしょう。それを個々の子どもにも使えば,全国同じ規準や基準で,学習評価を行うことも可能になります。ノートや作品の画像データの解析システムの構築に必要な評価規準データは,現場にあるはずなのですが・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 12月29日 国際生物多様性の日 | トップページ | 12月31日 6×3×2×3=12+24+72=4×9+8×9 »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 12月30日 6・3・3・4制:

« 12月29日 国際生物多様性の日 | トップページ | 12月31日 6×3×2×3=12+24+72=4×9+8×9 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より