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« 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか | トップページ | 12月30日 6・3・3・4制 »

12月29日 国際生物多様性の日

 植樹イベントが行われる国もあるようだが,偶然,昨日,椿の木を買ってきた。

 今日は,少し大きな鉢に植え替える作業をした。

 世界の生き物が危機に瀕している背景に,人間の欲があることは言うまでもない。

 アフリカのマウンテンゴリラの敵は,たとえば携帯電話を使う人間,作る人間,売る人間である。

 レアメタルの産地がゴリラの生息地と重なると,どんなことが起きるか。

 人間の生活スタイルや趣味が多様化するのに従って,犠牲になっていく生物がいる。

 そういう図式を堂々と広めると,需要が下がり,経済が停滞し,困る人たちがいるから,
 
 「知らないでおいてほしい」と願ってしまう。

 たこ焼き好きな人が,知らないといけない情報とは何か。

 事実を突きつけられないと,人間の心はなかなか動かない。

 そういう事実を知らされない教育を目指そうとしている人たちが手に入れるのは何か。

 これも生存競争の一環であると捉えておいた方がよいのかもしれない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より