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12月26日 ディルの花言葉は「智慧」

 今まで健康でいられたおかげか,薬草などにはほとんど興味がなかったが,

 健康ではない状態が当たり前になってみると,「薬膳料理」などにも関心が持てるようになった。

 花言葉などにも興味を持てずにいたが,80歳になる母親から「この本に書いていること当たってるよ」などと紹介されると,思わず子どもの誕生日の花などもチェックしてしまう。

 推理小説やドラマなどでも時々使われる「花言葉」だが,私はその「歴史」の方に興味がいってしまい,理由がわからないと落ち着かなくなってしまう。

 こういうとき,人間は何かのこじつけでも納得しないと気がすまない性質をもっていることに気づく。

 こうした性質を逆手にとって,他人を利用しようとする人間がいることもよくわかる。

 私は教師をしているが,生徒指導など,8割がハッタリである。

 本当のこと,他の生徒が何を言っていたか,などを知らせることは,多くの場合,躊躇する。

 そもそも中学生くらいの年齢の子どもにとって,誰が何を言っていたなどという情報ほど当てにならないものはない。

 何を言ったかをほとんど覚えてない子どももいるし,そのときはそう言ったが,今は全く何も思っていないとか,全く逆のことを感じているとか,いくらでもある。

 心と言葉は連動していない。

 私が最近気にしているのは,「死ね!」と口癖のように繰り返す中学生たちである。親のマネをしているのかもしれない。

 アメリカの学校では,落ち着きのない(多動の)子どもには,薬を飲ませて静かにさせるという。

 日本では,ハーブ入りのお茶くらいなら許されるだろうか。

 喫茶室を用意するくらい,余裕のもてる職場をつくってみたいなどと思う。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より