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12月10日 国連による国連のための人権

 学校現場を「大学教員による大学教員のための教育」から救うために,教師や子どもができることを考えなければならない。

 その教科は,その科目は,なぜ子どもにとって必要なのか。

 新しい学習指導要領では,教科独自の「見方・考え方」を働かせて学習できることに教科の意義を持たせる方針としたのだが,それらを総合させて働かせることが重要だと言っているのだから,そもそも教科別に一面的な「見方・考え方」を育てただけなら意味がないことを自分で言っていることにもなる。

 組織は良きリーダーが不在だと,組織の存続のために動いているとしか思えない状況が多く生まれてしまう。

 「大学教員による子どもたちの未来のための教育」がなされずに,「教員本人のための教育」が登場してしまうのは,自分自身や自分のポストの存在証明をする必要があるからである。

 さて,国連に対して,世界人権宣言がいかに「絵に描いた餅」に過ぎないか文句を言いたいわけではないのだが,理想と現実のギャップがあまりに大きくなり,「機能しない国連」という評価が定着してしまわないようにするため,また,「国連という組織を存在させるためだけの活動ばかりしている」という反発を生まないようにするために,もっと「国連らしさ」をPRするソフトパワーを伸ばしてほしいという願いがある。

 10個のスコップがあるときに,100人にこれを使って穴を掘れ,と言われたときは,10人1組で交代で使う,という方法がある。

 しかし,水をくみ出す手段としてそのままスコップを使わせたり,網をもってきたりするのは愚かなことである。

 水たまりの水を,道路の真ん中にうつすだけ,ということを平気で行っているのが教育現場である。

 効率を重視する世の中だから,ポンプと発電機を持ってくればすむのかもしれないが,そういうことをしているから,いろんな可能性をつぶされる人たちが出てきているのである。

 「人海戦術」という言葉を調べてみると,いろいろと恐ろしい歴史や背景が見えてくる(日本では,山の中で行方不明になった人を探すときなどに使っているが,背景を知っている人なら使うのを躊躇するような言葉である)。

 背景を無視して,「平和な社会を築くためにできる人海戦術とは何だろう」という問いを立てたらどんな答えが出てくるだろうか。

 「大勢でできること」「みんなでできること」・・・日本の地域社会の中では,かつてはいくらでもあったもの。

 人口は減少しても,それさえあれば何とかなったはず,という何かが,今は失われている。

 問題は人口減少ではなく,「みんなでできること」なのにそれをしなくなっている,という現状である,ということに気づけるかもしれない。

 政権は,「選挙に人海戦術で投票しに来られる」と,本当に困ることになるかもしれないが,民主主義国家を守るのは国民であって,政府ではないことに気づいてほしい。

 
**********************

【世界人権宣言 第1条】 
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

【世界人権宣言 第19条】

 すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

【世界人権宣言 第26条2】 

 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より