ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 11月7日 山の日 | トップページ | 11月8日 いい歯,いい肌,いい刃物 »

小学校の授業を参考にする高校教師

 小学校の授業を参観したいと思う高校の教師がいたとしたら,極めて有望な人材だと思われる。

 大学の教育学部などには,元小学校教師だった先生がけっこうたくさんいる。

 とても立派な指導案や板書計画をつくれる人が多いので,こういう先生に習うと,「実践的」な力がつけられることが期待できる。

 大学の先生の専門性は非常に狭い世界に限ったものだから,一人に多くのことを期待してはならないのだが,教師になろうとする人が最も頼りにできるのは,現場で長く勤め上げた人であろうことは,想像のとおりで間違ってはいない。ただ,大学の先生になれるような小学校の教師は,百校とかに1人いるかいないかくらいの割合だろう。そういう先生のようになれと言われても,そう簡単にはいかないのも当然である。

 経験の浅い高校の教師が授業を参観して最も参考になりやすいのは,小学校であろう。

 題材が簡単だから,すぐに自分なりの別のアプローチが思い浮かぶし,子どもたちは素直だからわかりやすい演技をしてくれる。

 中高との激しすぎるほどの落差を痛感すると,かえって教育困難校の教師にとっては,ハードルが下がった分,どこでつまずいた子どもがどういう辛い目に遭っているのかという共感を持とうとするきっかけにもなる。

 中学生にしろ高校生にしろ,場合によっては大学生にしろ,まるで小学生のように無邪気に課題に取り組んでくれるような教材をいくつか持っていると,今までつまらない授業をしてくれていたセンセイたちに感謝したくなる人が出てくるかもしれない。

 小学生たちが夢中になる授業で心を洗われた後,現実に戻るのはキツイかもしれないが,本当に意味のある「学び」とは何かを考えるための出発点に立つこともできるかもしれない。

 常に初心に帰れる場所を持っておくことは大事である。

 よりよい「原点」は,教師になって何年かしてから見つけ出すことになる人もいるだろう。

 私はまだ「原点」を探しているところであるが,見つけるのは退職してからになるかもしれない。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 11月7日 山の日 | トップページ | 11月8日 いい歯,いい肌,いい刃物 »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

教員採用試験」カテゴリの記事

指導主事」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小学校の授業を参考にする高校教師:

« 11月7日 山の日 | トップページ | 11月8日 いい歯,いい肌,いい刃物 »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より