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最低限の教育の場の確保を!

 ある東京の小学校が,学級崩壊をきっかけに騒然としている。

 「保護者はだれでも教室に入ってよい」という段階から,さらに

 近隣の小学校から教員を派遣してもらって,正常化に向けた努力がなされているらしい。

 小学校は女性教員の割合が高く,産休代替の担任の先生に習う確率が高い。

 嘘みたいな本当の話で,小学校の6年間で半分以上,産休代替の担任の先生に習った子どももいる。

 東京都では,低倍率のもとの小学校教員の大量採用の衝撃が,現場を直撃しているうえに,産休代替にあてられる人も足りなくなっている。

 若い女性の担任がいなくなったと思ったら,60歳に近いおじさんがやって来たら,それだけで泣いてしまう小学生もいるだろう(決して悪い経験ではないと思うが)。

 保護者にとって,学力向上などは二の次でよい。学力向上は塾が頼りである。

 子どものクラスの生活が成立しているかどうか(この意味は,子どもが教室の中にいるだけで成立する)が心配で仕方がない。

 小学校では,病気休暇をとって学校を離れる若い教師が増えてきているようだ。

 ある校長先生から聞いた話だと,どうやら職員室が地獄になっている学校が多いらしい。

 だれが若い教師をいじめるかはご想像にお任せする。私の予想は当たっていた。

 教室に入っても地獄,職員室に戻っても地獄,家しかまともな場所がない人は,どうやって生きていったらよいのか。

 免許だけとったが採用試験に合格していない人をこき使うのもいいが,そろそろ行政が本腰を入れて対処すべき時期に来ているのではないか。

 管理職試験を受ける人がいないという問題より,まずは子どものために最低限の教育の場を確保してほしい。
 
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より