11月30日 いい鏡になれるかどうか
小中学生よりも,一部の国会議員にとっての方が,「道徳教育」が必要である。
じいさんばあさんへの「道徳教育」はだれが行ったらよいのか。
もう,その担い手として考えられる人は,たった二人しかいない,という事態だけは避けたい。
今は,「平和な国である日本」の象徴の立場だが,かつては異なる立場にあった。
その頃と同じ状況を復活させたい人はいないはずだが,
かつての立場と真逆であれば,期待をかけられる最後の希望となることは確かである。
票を失うことをおそれずに,人を叱れる人がいなくなれば,だれを頼りにすればよいのか。
最後の切り札を使うべきときを,「道徳教育」が必要な人間たちも考えているのかもしれない。
「鏡」となりうる人に,もっともっと「鏡」としての発言をしてもらいたい。
子どもたちの信頼を裏切り,信用をなくし,不信感を高める大人を懲らしめるのは,だれの役目なのか。
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