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11月14日 いいとしのとり方

 これからの日本は,「いい年」をした人たちにも頑張ってもらわなければならない。

 「いい年」のとり方とは,どういうものだろう。

 アンチエイジングと表現すると,「若さを保ちたい」「加齢は敵だ」というニュアンスが入ってくるような気もする。

 「グッドエイジング」という表現はどうかと思ったら,商標登録されてしまっているようだ。

 ここでは,幸福感のある生活を送りながら「いい年」をとっていくというイメージを,今の小中学生がもつことは可能か,という課題を考えてみたい。

 私と同年代の人は,まだ祖父母と同じ家で暮らしていた人がそれなりにいると思われるが,

 核家族化が進んでしまった世代では,身近で「いい年」のとり方をした人になかなか出会えない。

 祖父母にとってのいい生活とは,家でのんびりとしながら,子どもや孫の成長を楽しんだり,助けたりするものだと祖父母を見ていた私などは考えてしまう。

 また,学校の先生方にも,「偉い立場」にはなっていないが,「いい年」のとり方ができているなとうらやましくなる人たちがたくさんいた。

 実際に「いい年」の人が近くにいることが,まずは大事だと思う。

 しかし,もう少したつと,家庭だけでなく,学校現場にも,「いい年」の人がいなくなる。

 「高齢化」の実感をほとんど抱くチャンスのないまま,学校で「高齢化の恐怖」を教えられていく。

 「いい年」をした人たちの犯罪行為が途切れなくニュースで報道されているが,

 「いい年」という概念が飛んで消え去っていく日が近づいているような気にもなってくる。

 特別の教科・道徳の時間については,教科書を読んで議論するような時間をいくら確保しても,大切な力はほとんどつかないのだ,という実践的な研究は世の中には出にくいのかもしれないが,これからの社会を考えると,

 教科の再編も行いつつ,教科外の時間を統合しながら,社会とのつながりをより強く,密接にしていける柔軟性を認めることが,カリキュラム編成の大原則として必要だと思われる。

 教科や道徳,特別活動,総合的な学習の時間の「他との違い」「特殊性」ばかりに目を向けるのは,時代遅れではないか。

 既得権益を守るために,自己の存続を維持するために,一生懸命になってそれぞれの時間の重要性を述べてくれているが,子どもたちにとってもっと重要なのは,「社会体験」「自然体験」「主体的な行動の経験」の時間なのである。

 「いい年」をとっている人たちが受けてきた教育の意義を,もう一度ふり返ってみてほしい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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