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極端に「世界」が狭くなる職場

 就職前よりも極端に「世界」が狭くなり,「世間」が小さく限られたものになる職場の代表が一般的な「学校」や「大学」,「公官庁」である。

 ときどき教員でも「俺はいろんな学校や地域に講演に呼ばれてるぞ」と粋がる人がいるが,限られた時間の中でそういう「サイドワーク」ができるのは,実はとても狭い「世界」で生きている証拠である。「世間」とのつながりがないから,目の前の子どもや学生を犠牲にして職場を離れることができるのだ。

 最近,私がかかわる学校を取り巻く環境が変化しているという実感があるのは,各省庁や業界団体の方々が学校に足を運びに来る回数が増えているからである。そこでまず感じるのは,相手の方の「世界」「世間」の狭さである。

 「教育現場を何も知らない」とまでは言わないが,無理を承知で様々な「お願い事」を持ち込んで来られる。

 ここのところ,「税金で運営されている(給料が支払われている)のだから,こっち(行政)の指示に従え」的な圧力も増えているが,学校に足を運んで下さる方にはそういう高圧的な態度は見られず,「困っているから助けて」という雰囲気が伝わってくる。

 大学が研究費を獲得してやっていることのうち,たとえば教育分野で言えば,どんな研究がどのような成果を残しているか,公立学校の方々にはほとんどわからないだろうし,研究をしている学校の側からすると,どうしてこんな無駄なことに税金が使われるのかが理解できない,というものばかりである。

 本当に必要な教育の姿を模索している人たちは,大学をスルーして,小中学校に直接足を運び,タッグを組もうしている。

 新しい学習指導要領の目指していることは,一言で表現すれば「世間を広げろ」「世界を広げろ」ということである。しかし,普通の学校には,それを自分で広げるための金も時間も人も余裕はない。

 教育の関係者同士がいくら群れたところで,何も始まらなかったことをこれまでの教育改革が示してくれている。

 どうすれば「社会に開かれた教育課程」がつくれるか,だれが語る資格をもっているのだろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より