極端に「世界」が狭くなる職場
就職前よりも極端に「世界」が狭くなり,「世間」が小さく限られたものになる職場の代表が一般的な「学校」や「大学」,「公官庁」である。
ときどき教員でも「俺はいろんな学校や地域に講演に呼ばれてるぞ」と粋がる人がいるが,限られた時間の中でそういう「サイドワーク」ができるのは,実はとても狭い「世界」で生きている証拠である。「世間」とのつながりがないから,目の前の子どもや学生を犠牲にして職場を離れることができるのだ。
最近,私がかかわる学校を取り巻く環境が変化しているという実感があるのは,各省庁や業界団体の方々が学校に足を運びに来る回数が増えているからである。そこでまず感じるのは,相手の方の「世界」「世間」の狭さである。
「教育現場を何も知らない」とまでは言わないが,無理を承知で様々な「お願い事」を持ち込んで来られる。
ここのところ,「税金で運営されている(給料が支払われている)のだから,こっち(行政)の指示に従え」的な圧力も増えているが,学校に足を運んで下さる方にはそういう高圧的な態度は見られず,「困っているから助けて」という雰囲気が伝わってくる。
大学が研究費を獲得してやっていることのうち,たとえば教育分野で言えば,どんな研究がどのような成果を残しているか,公立学校の方々にはほとんどわからないだろうし,研究をしている学校の側からすると,どうしてこんな無駄なことに税金が使われるのかが理解できない,というものばかりである。
本当に必要な教育の姿を模索している人たちは,大学をスルーして,小中学校に直接足を運び,タッグを組もうしている。
新しい学習指導要領の目指していることは,一言で表現すれば「世間を広げろ」「世界を広げろ」ということである。しかし,普通の学校には,それを自分で広げるための金も時間も人も余裕はない。
教育の関係者同士がいくら群れたところで,何も始まらなかったことをこれまでの教育改革が示してくれている。
どうすれば「社会に開かれた教育課程」がつくれるか,だれが語る資格をもっているのだろう。
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