ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「信じる」と「あきらめる」の同一性 | トップページ | 「いじめ=32万件」はまだまだ少ない数字だろう »

人に「素直であれ」という人は素直なのか?

 人はなかなか素直になれない生き物である。

 「素直に生きていこう」と自分が口にしている時点では,「素直ではない何か」を感じているはずである。

 人から「素直になれ」と言われて,その通りにする人を「素直な人」というのか?

 もちろんそうではないだろう。ただの「お人形」である。

 自分がもし「批判的な人間だ」「情報は疑ってかかることが大事」と自覚しているのなら,
 
 「批判的に考える」「疑ってみる」ことが「素直」な生き方である。 

 人は,自分に対して「素直」になれない場合もあるし,他人に対して「素直」になれない場合もある。

 他人に対して「素直になれ」と言う人を信頼する場合,気をつけるべきことは何か。

 直に会ってみることである。

 「素直に生きることの大切さ」を分からせてくれる人は,

 他人に決して「素直に生きろ」とは口にしないことを,先人たちが教えてくれている。

 道徳の時間は,そのことを隠しているから,「お人形」工場と言われてしまうのである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 「信じる」と「あきらめる」の同一性 | トップページ | 「いじめ=32万件」はまだまだ少ない数字だろう »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人に「素直であれ」という人は素直なのか?:

« 「信じる」と「あきらめる」の同一性 | トップページ | 「いじめ=32万件」はまだまだ少ない数字だろう »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より