ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 10月14日 PTAと鉄道の日 | トップページ | 10月15日 遠いご先祖様を思う日 »

中学校1年生でよく起こる思考停止状態

 対人関係で何かの被害にあった人が,加害者を責めるのは当然のことですが,

 被害にあったきっかけが,被害者自身にある場合には,加害者を責めるだけで終わらせてはいけないことはわかるでしょうか。

 学校では,Aという子どもがBという子どもの悪口を言い,BがAに殴りかかって怪我をさせる,ということが起こりえます。

 Aの怪我は,AがBに悪口を言わなければ防ぐことができたものでした。

 しかし,Aという子どもがBに悪口を言ったことを反省できないことがよくあります。

 なぜならば「私は被害者なのだから」という一種の思考停止状態です。

 A・Bという空間上の対立軸しか頭になくて,どういう経緯でそうなったのかという「時間軸」での思考が働かない状態です。

 起こったことを順を追って説明することができないのは,どんな教育が欠けているからでしょうか?

 中学校1年生(小学校7年生)によく起こる生活指導事案です。

 なぜか,中学校2年生になると,時系列で語ることは可能になります。

 発達段階によるものなのか,生まれて初めて,通史としての「歴史」を中学校で習うからか?

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 10月14日 PTAと鉄道の日 | トップページ | 10月15日 遠いご先祖様を思う日 »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

レジリエンス」カテゴリの記事

リスクマネジメント」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中学校1年生でよく起こる思考停止状態:

« 10月14日 PTAと鉄道の日 | トップページ | 10月15日 遠いご先祖様を思う日 »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より