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「怒鳴り殺し」の生活指導

 ある大学の教育学部の先生も,学生を怒鳴ることがある,と耳にしたが,いずれ

 「怒鳴る」=「大きな声で叱責する」ことの禁止令が出されるかもしれない。

 私は耳障りな大声で話す,ある大学のセンセイが大嫌いだが,自分は怒鳴ることがなかったかと言われると,そんなことはない。

 ただ,怒鳴る相手とタイミングを間違えることはないようにしていた。

 ある時期から,友達が怒鳴られることに耐えられないような子どもが増えてきて,使いどころに困るようになっている。

 そもそも大きな声を聞いたことがない子どもには,衝撃が強すぎるようだ。

 家でも学校でも怒鳴り声に慣れてきた身としては,まるで別世界の子どもたちに別の形で愛情を示す必要に迫られている状態である。

 強い叱責によって子どもが精神的に追い詰められてしまうことがあることは,教師ならだれでもわかっていることだろう。

 小学校の職員室で私が担任の先生に怒鳴られているときは,私の無実をだれも証明してくれず,助けてもくれなかったが,自分が中学校の教員になると,いろんな人が進んでフォロー役にまわってきてくれるものだということがよくわかった。それで調子に乗って生徒を厳しく叱ることもあった。もちろん,自分がフォロー役にまわることもある。

 福井で起こったことは,当然,他の地域でも起こりうるが,フォローがなされない,あるいは機能しない原因をはっきりさせてほしい。

 これも「学力向上圧力」が生み出した悲劇ではなかろうか。

 もともともっていなかった可能性もあるが,教師から大切なものを奪うことに関して,行政は非常に積極的である。

 中学生の悲しすぎる死を無駄にしてはならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より