「怒鳴り殺し」の生活指導
ある大学の教育学部の先生も,学生を怒鳴ることがある,と耳にしたが,いずれ
「怒鳴る」=「大きな声で叱責する」ことの禁止令が出されるかもしれない。
私は耳障りな大声で話す,ある大学のセンセイが大嫌いだが,自分は怒鳴ることがなかったかと言われると,そんなことはない。
ただ,怒鳴る相手とタイミングを間違えることはないようにしていた。
ある時期から,友達が怒鳴られることに耐えられないような子どもが増えてきて,使いどころに困るようになっている。
そもそも大きな声を聞いたことがない子どもには,衝撃が強すぎるようだ。
家でも学校でも怒鳴り声に慣れてきた身としては,まるで別世界の子どもたちに別の形で愛情を示す必要に迫られている状態である。
強い叱責によって子どもが精神的に追い詰められてしまうことがあることは,教師ならだれでもわかっていることだろう。
小学校の職員室で私が担任の先生に怒鳴られているときは,私の無実をだれも証明してくれず,助けてもくれなかったが,自分が中学校の教員になると,いろんな人が進んでフォロー役にまわってきてくれるものだということがよくわかった。それで調子に乗って生徒を厳しく叱ることもあった。もちろん,自分がフォロー役にまわることもある。
福井で起こったことは,当然,他の地域でも起こりうるが,フォローがなされない,あるいは機能しない原因をはっきりさせてほしい。
これも「学力向上圧力」が生み出した悲劇ではなかろうか。
もともともっていなかった可能性もあるが,教師から大切なものを奪うことに関して,行政は非常に積極的である。
中学生の悲しすぎる死を無駄にしてはならない。
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