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10月3日 再登山の途中

 ビートたけしさんが,何かのテレビのインタビューで,現在の立ち位置を登山にたとえている場面があった。

 一度頂上に立ち,下山していたが,また頂上に向かって歩き始めたようなもの・・・・

 時間の問題もあるので,実際の登山でこれをやる人はいないだろうが,

 絶頂期を迎えて,山からいつの間にか姿を消したような人たちに,「戻る道」を教えられるのは,たけしさんくらいしかいないかもしれない。
 
 とてつもない期間の「下積み」は,富士山にたとえれば,まさにその裾野の広さに該当する。

 最近は,そうではない山もあり,崖もある。 

 登りはじめから急に傾斜が厳しくなったと思ったら,落ちてしまった,という人もいれば,そのまま頂上にのぼりつめることができる人もいる。

 いきなり急斜面から台の上に立った人に,「登山」のたとえは使えないかもしれない。

 学校現場で危惧しているのは,「登山にたとえる」ことができなくなる時代が来るような気がすることである。

 年間計画を,ただ計画の通りに「消化」しているだけの道徳があったとしたら,教師も子どもも苦痛にすぎないだろう。

 担任を10年,20年もやっていれば,今,このとき,中学生はどんな言葉をかけてくれることを望んでいるか,どんな言葉を自ら発することができることが望まれるかがわかるはずである。

 それは,「計画」の上には乗せることができないものである。

 「計画」に左右されて,子どもを8合目から1合目に無理矢理引っ張り下げる行為だけはしないでいただきたい。

 「カリキュラムマネジメント」の意味がしっかり学校現場や保護者たちに伝わるように努力することも大事だろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より