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10月9日 塾の道具=教材のおかげで入学できた?

 10月9日も,語呂で決まっているナントカの日がたくさんあります。

 じゅく(塾)の日,どうぐ(道具)の日,とうきゅう(東急)の日,とらっく(トラック)の日など。

 とーく(トーク)の日ではないのかなと調べてみたら,毎月19日でした。

 塾は少子化の影響で,環境が悪化しているにもかかわらず,成績上位層を作り出す機能(小学校3年生から受験勉強スタート)が中学受験産業にはあるので,受験に参入する子どもが増えているのかもしれません。

 公立中高一貫校の先生に聞いても,「明らかに塾に通っている子どもが有利」ということらしく,専門のコースもあるようです。

 公立中高一貫校の入学者選抜は,「学力検査を実施してはならない」ことになっています。

 「学力」とは何をさすのか。それを考えれば,「適性検査問題」が「学力検査」ではないとは言えないはずです。

 しかし,平成23年に初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室が公表している「中高一貫教育制度に関する主な意見等の整理(案)」では,

>つまり,生徒に求める思考力、表現力、判断力といった総合的な適性を測る、いわゆる「適性検査」が広く行われている

 などと表現しており,一貫して「適性検査」であって「学力検査」ではないとの態度をとっています。

 「思考力,表現力,判断力といった総合的な適性」は,「学力」ではない,というのが文科省の立場です。

 教育産業が提供している教材は,入学者選抜を勝ち抜くために必要な情報が豊富であり,「知識」があるかないかで受験に有利か不利かがはっきりしてしまいます。

 そして・・・・。公立中高一貫校では,高倍率にもかかわらず,受験のノウハウ(だけ)を身に付けた子どもが多いせいかどうかは不明ですが,入学後に「低学力」で困っている生徒がいる,という現状が前述の文科省の資料でも指摘されています。

 教育産業の授業がそのまま学校の授業に採用されているような予備校型中高はともかく,公立中高一貫校では,地道な努力が積み上げられる生徒が求められています(普通の公立中学校や高校でも同じですが)。

 そういう生徒かどうかを作文や面接で見抜こうとするわけですが,実際にはそれでは見抜けないのが現状です。「道徳教育」の成果かもしれません。ホンネではなく,建前を堂々と扱う次期教科の威力はあなどれません。

 あまり公立中高一貫校の現状を暴露するのもどうかと思いますが,「借り物の力」だけで成功体験を子どもにもたせることは,本人のためにはならないものだとつくづくわかります。

 作文が上手な子どもは,反省文も上手です。

 どうしてこういう立派な反省文が書けるのに,やってはいけないことをやってしまうのか,出さなければならない課題を出さないのか,まあ,子どもらしいといえば子どもらしいのですが・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より