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10月8日 十たす八で「木」への愛着

 「自然への愛情を育てよう」という目標ほど,あいまいでつかみどころのないものはない。

 「自然」とは何を指すのか。

 「人を愛する心」だけでなく,「人を憎む心」も「自然」に生まれるのが人間である。

 人間の身体・生命を激しく損傷する威力のある「自然」もある。

 かつて,学校の敷地の中にある植物のうち,最も気に入ったものを探し,それを「自分の~」と呼んで愛情を注ごうという取り組みをさせたことがある。

 多くの生徒は,木を選ぶ。

 それはどんな手触りなのか。大きさ・高さ・太さ・堅さはどうか。どんな色をしているか。

 雨が降り,風が吹くとどうなるのか。

 見守っていると,「だれかの~」を傷つける生徒が現れてくる。

 これも想定のうちであるが,その反応を見て,「愛着」「愛情」の深さをはかろうとしていた私たち教師は,生徒にとってどんな存在だったのだろうか。

 どう考えても「自然な」存在ではない。

 ただ,時間を重ねるうちに,だんだん「自然」になっていく感触が強くなっていく。

 ごくごくゆっくりとではあるが。

 木は生徒たちよりもずっと大きく,頑丈そうであるが,言葉を発することはない。

 ただ,言葉を発しないことがわかっている相手に対して,自分はどう接することができるのかを知るチャンスが生まれる。

 生徒と,木と,教師との関係は,チョキとグーとパーのようなものだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より