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10月7日 学校での盗難

 とうなん防止の日に,多くの苦い思いが蘇ってくる。

 防犯カメラという「抑止力」が教育の世界にそぐわないことはご理解いただけると思うが,「だれかが見ていたら」「だれかの目があれば」と後悔した経験がある教師は少なくないだろう。

 「盗む」→「自分のものにする」ことで,どんな気分の高揚があるかは,なかなか想像することができない。

 「良心の呵責」という言葉は知っていても,自分の心には生まれてこない人がいるのか。

 「快感」「スリル」が「良心の呵責」を微妙に上回ってくるのか。

 満たされない思いを抱いて我慢している子どもが多いのはよくわかる。

 学校は,何によって子どもの心を満たせるのだろう。

 どうすれば,盗難を防ぐことができるのだろう。

 「盗まれた」子どもの心を想像させることだけでは,抑止できない。

 教育の世界では,「知識偏重」「思考重視」などといって,いつもお茶を濁しているが,知識と思考が別のものだという認識こそが,知識を深めることも思考力を高めることもできない最大の原因である。

 「学力を高める教育」と「心の教育」を別々の時間で行おうとすることも,ナンセンスである。

 何とか教育,何とか防止教育によって,どんな成果がでているのか,確かなデータはつくりようがないだろう。

 教育のいたらなさを自覚することの方が,何とか教育に飛びつくよりも,はるかに優先順位は高いと思われる。
 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より