ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 10月24日 連合国デー | トップページ | 「信じる」と「あきらめる」の同一性 »

10月25日 学校へのリクエスト

 10月25日は,ドイツでラジオでのリクエスト番組が始まった日ということだ。

 同じ年(1936年)の1ヶ月後に,日本がドイツと防共協定を結んでいる。

 学校教育への社会からのリクエストはたくさんある。

 ナントカ教育大流行の昨今である。

 カリキュラムをもし「社会に開かれたもの」にするのであれば,「学校へのリクエスト」に応じて教育内容を適宜見直せるよう,また,加えられるよう,「ゆとり」をもった編成にしておく必要があるはずである。

 それなのに・・・・。

 すでに平成30年度の教育課程編成に着手している学校もあるだろう。

 学校の教育課程は,新学習指導要領への対応力のアピールのしどころである。

 中学校で言えば,35週×週当たり29コマに,ギリギリに詰め込んだ教育課程にするのか,

 土曜授業を増やして,ゆとりをもたせるのか?

 一般の方は,授業は年間35週しかないのか?といぶかられるかもしれないが,

 春,夏,冬の長期休業のほか,祝祭日がけっこう多く,35週分確保するのはなかなかに難しいものである。

 もはや,いっそのこと,長期休業がないカリキュラムが編成できるよう,規則を変えるべきときに来ているのかもしれない。

 そうすれば,教員志望の人がさらに減ることが想像できそうだが・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 10月24日 連合国デー | トップページ | 「信じる」と「あきらめる」の同一性 »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 10月25日 学校へのリクエスト:

« 10月24日 連合国デー | トップページ | 「信じる」と「あきらめる」の同一性 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より