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10月20日 頭髪検査はまだ残っている?

 今の時代に「頭髪検査」を定期的に実施している中学校はどのくらいあるだろうか。

 小学校にも高校にもない,中学校独特の風習と呼んでもよい「頭髪検査」。

 個別に指導すればよい話なのだろうが,おそらく起源は指導できる人とできない人の差をなくすための策だったのではないだろうか。

 「どうして隣のクラスはあれでも許されているのか?」と不公平感を訴えられることを防ぐために,一律・一斉に検査を行い,違反者を指導する仕組みは,普通に考えれば「教育的な指導」とは言えないだろう。

 一応,教育原理だの教育心理を大学で学んでいれば,・・・いや,自分が中学生の立場になって考えてみれば,どういう指導がどういうプラスの意味をもち,マイナスの意味をもつのかくらいわかるはずである。

 これまで,前髪を「改善」するだけで成績が上がった先輩の話をすると,我に返ったように「まね」する子どもらしい生徒も多かった。

 「利益」でつるのも,「不利益」で罰するのも,どうにも教育的ではない。

 就職活動の時期になるとみんなマネキンのように同じ格好になるのは気の毒な感じもする。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より