ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 10月1日 法とコーヒーと都民の日 | トップページ | 10月3日 再登山の途中 »

10月2日 豆腐と望遠鏡

 学校現場で生活指導をしていると,「豆腐にかすがい」の連続で疲弊する場合がある。

 家でとんでもない暴力を振るわれている子どもも,現在の学校ではまず体罰を加えられることはない,とわかっているから,とても伸び伸びとしている様子が目に浮かぶ。

 自分のタブレット端末か何かを取り上げた教師を蹴っている高校生の動画を見たが,蹴っている高校生よりも,後ろで笑っている高校生,動画を公開する子の方が,「よっぽどだ」と多くの人が思っているだろう。

 教師の立場で言うと,子どもに背中を向けて蹴りを受けるような人は,絶対に子どもからモノを取り上げてはならない。

 モノを取り上げられた子どもが逆上する様子を見た経験がある人なら,モノを取り上げるとき,よほど気をつけないと,「犯罪行為」を誘発することを知っているはずである。

 どっちもどっちというのが第一印象だが,私が見たニュースで磯田道史さんがとてもいいコメントを発していた。

 「これはチャンスと捉えるべきだ」

 まさにその通りである。

 望遠鏡から眺めているだけの教師や,叱ればいいとだけしか思っていない教師は,およびではない。

 問題の多くは,教師と子どもとの関係性ができてない場所で発生するが,

 教師にとって,暴力を体で受け止めた経験というのを無にしてはならない。

 10月2日はガンジーの誕生日で,国際非暴力デーとされている。

 暴力は許せないのだが,許されないのは暴力だけではない。無視も,心ない言葉も,心ない行為も,相手を傷つける深さでは,ときに暴力以上の威力があることを,教師は知っておくべきである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 10月1日 法とコーヒーと都民の日 | トップページ | 10月3日 再登山の途中 »

教育」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 10月2日 豆腐と望遠鏡:

« 10月1日 法とコーヒーと都民の日 | トップページ | 10月3日 再登山の途中 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より