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10月17日 「貯蓄の日」から連想されるものは・・・?

 総務省の『なるほど統計学園』というサイトに,貯蓄の日の説明が掲載されています。

>昭和27年(1952年)に日本銀行が、お金を無駄遣いせずに大切にしようという思いを込めて定めた記念日です。これは、10月17日に伊勢神宮で行われる神嘗祭(かんなめさい)に由来します。神嘗祭とは、その年に収穫された穀物でつくったお酒などを収穫への感謝の気持ちを込めてまつるお祭りのことです。

 金融機関と神様を一緒にするとは,罰当たりな,という批判は当時なかったのでしょうか?

 まあ,お賽銭が集まる仕組みをもつ宗教施設ですから,敵対関係にあるわけではないのはわかりますが・・・。

 私は,「貯蓄の日」と聞くと,どうしても戦時中をイメージしてしまいます。

 今は,「貯めるより使え」という時代ですから,「消費の日」が必要なのでしょうが,どうも財布のひもがかたいようで,昔の定期市のように,「8のつく日」に売り出しをしたり,ポイントをたくさんつけたり,プレミアムフライデーをつくってサービスを増やすなど,「売り手」が考えたイベントしかないようです。

 実際には,必要を感じないもの,なくても困らないものが多く売られており,「買わない」という選択肢の方が賢い気もするのですが・・・。こういうタイプの人が多ければ,自然に「貯蓄高」は増えていくのでしょう。

 さて,学校現場では,「金融教育」に取り組むところが増えてきています。  

 「金融教育」というと,どうしても「買う」ことが前提として設定されているらしく,「100万円あったら,何を買う?」などという消費を喚起するような呼びかけが鬱陶しくてたまりません。

 「100円ショップに入ると,買わなくてもいいものまでついつい買ってしまう」という人も多いでしょう。

 もし私が「金融教育」に本腰を入れさせるとしたら,子ども全員に口座を持たせ,「お金の流れ」を理解させたいですね。教員に支払われる給料や学校の施設にかかる費用,給食費など,すべて一度,子どもの口座に入ってから,支出されるようにします。税金から口座に入った必要経費は,入った瞬間に支出されるので,引き落とすことはできません。 

 ドラマ『陸王』では,魅力的な銀行マンと超ムカツク銀行マンが登場しています。あまりにドラマっぽくて勉強にはなりにくいのですが,「金融の失敗と成功」を実感することができます。

 「金融教育」が,どのように「心の教育」「環境教育」「リスクマネジメント教育」にかかわってくるかは,指導者の腕次第でしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より