10月16日 世界食糧デーに日本の食品廃棄量を考える
給食指導というのはけっこう難しいものである。
「好き嫌いのない子どもにしてほしい」と要望する保護者がいる一方で,
「嫌いなものは食べさせないでほしい」という保護者もいる。
「食べ終わるまで許さない」などという指導はもう30年以上前に消えてなくなっている。
私が担任したクラスでは,おかわりが足りないので,私の分も全部子どもに食べさせた。
他の学年のクラスにまで,あまりをもらいに行かせたこともあったが,さすがに嫌がられた。
こういう学校ばかりならいいのに,と思うのだが,
「味が薄くて不味い」給食が大量に残され,山のような残飯が廃棄されるところもある。
飢餓で苦しむ国の痩せた子どもの写真を掲示するなど,あまりに露骨な「心に訴える指導」も成立しないし,
日本人が年間に捨てる食品は,7000万人が1年間食べていける量だとデータを示したところで,食べ残しがなくなるわけでもない。
輸入している食料の半分を捨てている,そんな国がどこにあるだろう。
戦時中の子どもが知ったら,怒り,そして呆れるに違いない。
どうしてこんな国になってしまったのか。
「食育」というのは,非常に奥が深いものである。
「食べる」ことだけに関心を持たせようとするような浅はかな教師はいないだろう。
「食べるもの」が目の前にあるのは,どうしてか。
いったいどれくらいの人が,目の前の食べ物にかかわっているのか,小学校何年生くらいから想像できるようになるのだろう。
世界で今週,何人の子どもが餓死しました。
この学校で今週,捨てられた食料は,何人の子どもの命を救えたのでしょうか。
そんなやりとりをしたところで,食料が余りに余っている国では,廃棄される量は減ることがないだろう。
年間,1900万トン。食品廃棄量を示すこの数字を,どうとらえたらよいのだろう。
« 10月15日 遠いご先祖様を思う日 | トップページ | 10月17日 「貯蓄の日」から連想されるものは・・・? »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「社会科」カテゴリの記事
- 止まらないビールの需要減(2018.12.30)
- 皇族への言論弾圧(2018.11.30)
- ありえない課題設定・・・EUが1つの国?(2018.11.24)
- 1000人当たりの暴力行為発生件数ワースト5は(2018.10.29)
- 創造性を奪うポートフォリオ評価(2018.06.05)
この記事へのコメントは終了しました。
« 10月15日 遠いご先祖様を思う日 | トップページ | 10月17日 「貯蓄の日」から連想されるものは・・・? »
コメント