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10月11日 危険でも安心できる国

 安全・安心なまちづくりのために重要なのは,根拠がないのに安全だと思い込んで安心することがないようにすることだろう。

 こっちは安全のために努力しているつもりでも,何がその人を危険に陥れるかわからない。

 地震や火災,津波などから身を守るためには,勝手に「ここは安全だ」と思い込まないことである。

 「不安な要素」をどこかに持っていないと,隙を突かれることになる。

 「不安でいっぱい」になりすぎても,身動きがとれなくなってしまう。

 危険をたくさん想定して,その中で一定の安心感を抱けるように,万全の備えをすることが大切である。

 普通は,高速道路の追い越し車線に停車中の車はいないはずである。

 普通は,スクランブル交差点で歩行者の信号が青なら,車は交差点に侵入してこないはずである。

 普通は,コンビニの正面にコンビニに向かって停車している車は,買い物が終わって帰るときは前進しないはずである。

 普通は~しないはずでも,普通じゃないときがある。実際に,普通じゃないことがあったための事故が起きている。

 普通は,四つの島を海に沈めることはできない。

 私たちが安心を手に入れるためには,何が必要なのだろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より