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9月16日 子どもがテレビを見なくなった

 9月16日は,ハイビジョンの日とされている。9:16という比率は,昔のテレビ世代の人にとっては「横長」の印象がまだ強いかもしれない。

 いずれ,テレビ局は総倒れになっていくだろう・・・という予想は,かなり以前からあったものの,「いつかはくる大地震」と同じように,「来ないことを祈る」ことばかりで「対応策」に欠けている気がする。

 我が家で起こっている変化が,特殊なものか,一般的なものかはわからないが,テレビがついているのは,目覚ましがわりと(「めざましテレビ」を見ているわけではない),通学・出勤前の時刻をみるとき(壁掛け時計もあるのだが・・・)くらいで,夜はテレビの電源をつけなかった,という日が増えてきているようである。

 その大きな理由は,子どもがテレビを見なくなったことによる。

 勉強をしてくれているのかと思えば,決してそうではなく,大学生も小学生もユーチューブを見ている。

 この記事を書いたのは,ネットニュースで「NHK植木等ドラマに抱く残念な違和感」という記事があり,昔のテレビマン活気が今はユーチューバーにある,という読みから,植木等役をヒカキンにして,テレビに「お客」を引き寄せる効果を狙うべきだった,という考え方ができることを知ったからである。

 ヒカキンはCMに登場し,三浦選手(カズ)から「敬意」を表明されている。

 電波で受信しなくても,つまり,「放送」ではなくても,ネットでつながっていれば好きなときに好きなコンテンツが手に入る時代に,「決められた時間の枠内で決められたことしかできない」業態はいかにも不利であるような気がする。

 そして,コンテンツの質があまり問われなくなったのは,視聴率を稼ぐテレビ番組の質が低下したことも大きな原因であるような気がする。

 ユーチューバーの躍進の土台をつくったのは,テレビである,という仮説を証明できる番組を思い浮かべることができる人は,まだテレビをよく見ている人かもしれない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より