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ダメな教育理念の「ダメ押し」

 ダメな教育はその理念を理解してもらおうと余計なたとえを使ってしまうから,その理念の「ダメさ」が露呈してしまう。

 教育を甘く見ている人間は,「病気」が薬や絆創膏で治ると信じている。

 病気を甘く見ている人間に,まともな教育ができるわけがない。

 健康な体は,薬や絆創膏でできるわけではない。

 ただ学力調査の結果がよくなるから,ある教育方法を取り入れる,というのも論外だが,

 「2割の健康体が8割の病人を助ける」的な発想は「8割」の側をバカにしすぎていることに気づいてほしい。

 「2割」の側を利用する,という発想よりも,「8割」の側に「2割」の側をたたきつぶさせる,という発想の方が「教育的」ではないだろうか。

 もちろん,教師にとって「2割」も「8割」も敵ではない。それに,どちらも「手下」でもない。 

 健康寿命が長い長野県に受け入れられるかどうかが,よい目印になるかもしれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より