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« 道徳教育をまともにやると,教員の立場がなくなる | トップページ | 9月23日 子どもは「手紙」を書けるのか? »

幼稚園児の喧嘩

 今,アメリカと北朝鮮のトップがしているのは,幼稚園児のような喧嘩であるという指摘がある。

 幼稚園児のような喧嘩ではあるが,喧嘩であることは間違いない。

 それも,国の威信をかけた喧嘩である。

 幼稚園児の実際の喧嘩が,「言い合い」「ののしり合い」で終わることはないだろう。

 物理的な力と力のぶつかり合いがあって,何らかの決着がついて終わる。

 延々と悪口の言い合いをしていてくれるだけなら,周囲に実害は及ばない。

 相手の挑発行為を「史上最悪」と読んだ側も,「史上初」の形式で見解を公開した。

 最終的な勝利がどちらに転ぶか,多くの人たちが同じ答えを信じているが,

 歴史をふり返れば,最初の勝利は後で滅んだ方にもたらされることが多い。

 昔とは違って,「最初の勝利」と「最後の勝利」の距離が縮まっている可能性が高いことを忘れずにいたい。

 喧嘩の仲裁ができるのは誰だろう。

 対岸の火事として眺めていられる国が仲裁役としてふさわしいのだろうか。

 安倍首相がアメリカとの関係について語っている「完全に」とか「100%」という言葉には,正直言って違和感がある。
 
 一枚岩であることを強調する関係が崩れ始めるときを,敵側は決して見逃さないだろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より