妄想教育に教材研究は必要ない
妄想教育への批判は,どこから始めればよいのか,悩んでいる人がいるようです。
そういう人やそういう人が集まっている場所には近づかない,というのが正解だと思うのですが,
本当に出口が見えなくて困っている人たちにとっては,胡散臭いものの方が逆に「本物」に見えてくる。
「藁をもつかむ」気持ちでいるときに,人は正常な判断が下せないものです。
教材研究がなくても,具体的な子ども理解はなくても,信じさえすれば,成果が出せる。
こんな妄想をいつの間にか「本物」として信じ込んでしまった人を現実世界に「取り戻す」のは骨の折れることです。
教育の世界で教材研究を「取るに足らないもの」と信じ込んでいる人が,大きな過ちを犯したことを,このブログで具体的に紹介しました。大学に身を置きながら,「教材理解の浅さ」を露呈したその人物は,自分の過ちを認めないところや攻撃が大好きなことが「定評」になってか,「この人にだけは授業の講評をしてもらいたくない」という有名人になっているそうです。
やがて忘れ去られる運命にある他国第一主義の人間や妄想教育の指導者は,他人の努力に価値を見出せないことが,最も「教育」から遠い位置にいる大学の「ただのガクシャ」らしいところなのです。
人の努力を自分は認めないくせに,自分の努力を認めてくれないとすねる。
教師が劣化している原因はお前にある,という批判に正面から応えられない。
本を読む動機を与えてくれるのがよい教師としての資質の一つでしょう。
批判をする前に,俺の本を読め,と本を読んでいる人に言う人とコミュニケーションをとることは困難です。
だって,あなたが大切だと思うことは書いてあるけど,多くの人が大切だと思っていることと,食い違っていますよね,とか,あなたが書いていることは,みんなもうわかっていますよ,という問いかけに,「お前がわかっていないだけだ」と返されてしまうと,もうその人のかかわった本は読む気がしなくなるし,そもそも書いてあることが全く信用できなくなる。
教育現場にご自分の妄想を押しつけることだけはやめてほしいのですが,「講師」に面と向かって批判できる教師は,どこかの政権内部と同じように,きっといなくなってしまっているのでしょうね・・・。
私は組合員ではありませんが,組合のときだけ元気になっていた教師たちを懐かしく思い返しています。
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