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9月2日 くつの日の靴指導

 靴の記念日は3月15日だそうだが,語呂によって今日は「靴の日」とされている。

 学校の靴と言えば,薄さに特徴のある「上履き」である。

 娘も週末に持って帰るが,たわしでこすってもなかなか汚れが落ちない。

 こんなに薄い靴では,災害のときは危険なのではないかと心配になるから,

 私の勤務校ではかかとが踏めない丈夫な靴が採用されている。

 かかとが踏めない靴なのだが,ご想像の通り,残念ながらかかとを潰してしまう生徒がいる。

 10年以上統計をとっているから,かかとを潰してしまう生徒はどういう生徒なのか,わかっている。

 よく,学校が荒れているか,落ち着いているかどうかは,下駄箱を見ればわかるという。

 ペラペラの上履きでは,かかとを踏んで歩いているかどうかわかりにくいが,不思議なもので,問題のある生徒がだれかはだいたいわかってしまう。

 廊下ですれ違うたびに注意しなければいけないから,

 靴の指導というのはとても憂鬱になる人もいるだろう。

 声をかけられた子どもは気まずそうに靴を履くのだが,声をかけられるためにかかとを踏んでいるのだとしたら,できればやめてもらいたい。

 「獲物」を見つけて喜んでいる私のような教師がいるせいか。

 9月1日=「悔いの日」に続き,9月2日=「苦痛の日」ではこの学期が先が思いやられてしまうが,子どもも教師も修行の場と思えば逆にありがたいことである。


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コメント

コメントありがとうございます。

私は地理は専門ではありませんが,定義があいまいな言葉を何となく使ってしまっている大学の人たちの劣化が心配です。

地理が必修になるのは私も賛成ですが,それは,「地理が嫌いな人」が増えていく原因にもなる可能性があります。

政治や経済の動きと切り離された地理にどれだけの意味があるのか,存在意義の証明をしようとするとき,国際標準の指標をそのまま引っ張ってくるだけでは厳しいような気がしています。

必修の地理の行方には,引き続き注目していこうと思います。

「空間的相互依存作用」という用語がどうにも腑に落ちず、検索していたところ、このHPに巡り会いました。おかげで怪しさも含めてわかったような気がいたします。ありがとうございました。他の記事を読んでいると時間がどんどん過ぎていきます。それだと、今こなすべき仕事ができなくなるので、とりあえず脱出しますが、これからチョコチョコ読ませていただきます。お忙しいと思われる中、本当にわかりやすい言葉で書かれていることに敬服します。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より