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9月4日 くしの日の頭髪指導

 公立小学校の入学式に出てみたら,親(ほとんどは母親)の半分くらいが茶髪だった,子どもの中にも・・・という妻の話を聞いて,「これでもともと頭髪が茶色がかった色をしている自分の子どもも目立たなくてすむ」と安心したものだった。

 依然として,中学校では「頭髪指導」というジャンルが残っているのだろうか。

 私の経験では,2つめの勤務校で,「七色の髪」が最も派手で騒ぎになったものだった。

 落ち着いてじっくり数えた記憶はないが,虹の色がだいたいそろっていたので「七色」という印象になっている。

 「七色の髪」にしてきた中3の女子は,九州にいた母親のところに行きたがっていた。

 父親との衝突がメイン?だったようで,中学校にはほとんど登校してこなかったのだが,久しぶりの登場が「七色」だったから,廊下で大騒ぎになっていた。

 私が通りかかったのがちょうど特別支援の学級の前で,ご迷惑をおかけしたと強く反省したが,その程度のことは特に大事件と呼べるものではなかったようで,先生方も子どもたちも落ち着いていた。なぜか,異動したその年から中3の学年主任になった私への野次が飛んでいたのをはっきりと覚えている。

 不思議なことが多かった。「七色の髪」の父親は,私を当初から強く信頼してくれていた。

 この学校に赴任してきたとき,多くの保護者から,学校に対する不平や不満を突きつけられた。

 当時はまだ「クレーマー」とか「モンスター」という言葉はなかったと記憶しているが,保護者たちをそういう概念でとらえたことは一度もなかった。

 こちらが説明したら,すべて理解してくれたし,今で言う「行き過ぎた指導」で子どもと親が憤ってしまっていたときも,話をしたら逆に感謝してくれて,その後の指導がとてもやりやすくなった。

 私たち教師と,親の価値観は基本的に共通していたし,実は子どもの価値観も私とは共通していた。

 みんな,学校「では」輝いていたかったし,私たちも輝かせてあげたかったのである。

 その方法は単純だった。

 見た目だけで目立つのは,カッコ悪い。

 一生懸命やっている姿が,カッコつかなくても,一番カッコいい。
 
 カッコつけるのが,一番カッコ悪い。

 余計な見栄を持たせない。

 ありのままの精一杯を重視する。

 こういう価値観が共有できたのが,20年前だった。

 今,荒れている学校では,どんなことが起こっているのだろう。

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コメント

コメントを複数の方からいただけた,とても珍しい週末でした。ありがとうございます。

先月末に,福井を訪れました。20年以上前に訪れた定食屋さんはなくなってしまっていて,残念です。その定食屋さんでいただいたお米のおいしさを再び味わいたかったのですが・・・。

教員のスタートがもし当初の希望通りの高校だったら,全く違った人生になっていたかもしれません。子どもたちにいじられたり,恐れられたりしながら,その成長曲線に驚く機会の多い中学校にいるのは幸せです。

教員にとって,感覚の違いは本当に様々だと思います。私の考えが通用する小学校の先生がいたのは驚きでしたし,高校の先生は専門が狭くなり,みなさん謙虚でいらっしゃるのが印象的です。唯一,何様かと思えるのが多いのが大学で,悪口ばかりになって申し訳なく思っています。

こんなブログですが,今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

いつも、愛読しています。上滑りの言葉でなく、現実とうまく切り結びながら、お仕事に取り組んでいることが、よくわかります。私も最近ブログを始めました。よろしければ一度覗いてみてください。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より