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9月26日 災害への備え

 9月26日は,台風に襲われる回数が多い日だと言われている。

 痛ましい事故の記憶もある1日だが,日本は東日本大震災などを経て,

 災害に強い国に大きく変わりつつあると思われる。

 災害への強さは,物理的な備えだけではなく,精神的なつながりの度合いによっても測定できよう。

 「明日は我が身」という言葉を,ただ唱えているだけでも意味はない。

 今日,できる「備え」は何だったか。

 教育現場も,ときどき「豪雨」や「台風」に見舞われる。

 感情が嵐のように高ぶり,生徒と生徒が傷つけ合う事態に陥ることがある。

 こういう場合にものを言うのは,日頃からの「備え」である。

 気持ちでは救う対象である子どもが,いつの間にか人を救う立場になっていることがある。 

 子どもにいつも救われている感覚をもっている教師に油断はないか。

 子どもをいつも救っている自覚のある教師に油断はないか。

 生徒と教師の関係でも,「お互い様」という感覚が大事である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より