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9月23日 子どもは「手紙」を書けるのか?

 最も「ふみの日」がふさわしい月はいつだろう,と考えると,それぞれの月にそれぞれの「宛先」があるのではないかと思われる。

 9月なら,実際に届けられる相手ではないが,「あの世」にいらっしゃる,感謝すべき方だろうか。

 ある程度年をとると,対象が大勢いすぎて大変かもしれない。

 国語の先生方には失礼かもしれないが・・・小学校の先生だと全員が対象かもしれないが・・・

 子どもたちが「手紙」を書く機会が少なすぎるのではないだろうか。

 英語で言えば,そもそも大学生の何%くらいが英文を手紙をやりとりした経験があるだろう。

 今,図工(美術)などでは「子どもを型にはめるのはよくない」「個性を大切に」などということで,ぐちゃぐちゃな落書きを「すごい」「偉い」と褒めなければならないようだ。

 「手紙」の場合は,もう少し「知的」な刺激や指導が必要なのではないだろうか。

 コミュニケーション能力を測定する指標として,

 たとえば教員採用試験では,1週間ほど学校を休み続けてしまった子どもと,1か月以上休んでいる子どもを対象に手紙を書かせて,その違いの理由を語らせる問題を課してみたらどうだろう。

 また,グループで読ませて,だれの手紙がどういう理由で優れているか,議論させてみたらどうだろう。

 もう少し,「手紙」の価値を見直す機会を教育の場で設けるべきではないだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より