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9月22日 犠牲にするものが変化した

 今年の横浜市のカーフリーデーは秋分の日とされているが,フランスでは毎年9月22日と決まっているらしい。

 中国の北京などのように,ナンバープレートの数字で車を利用できる曜日を制限するのも知恵の一つかもしれないが,環境問題に取り組む姿勢をどのような形で示すかは,それぞれの地域の工夫次第だろう。

 日本が「公害大国」と呼ばれたとき,いくつかの条件が重なって都市の生活環境は悪化してしまった。

 ○政府(行政)は生活環境よりも経済成長を優先させる政策をとっていた。

 ○環境への負荷が大きい重化学工業が急発展しており,しかも人口が多い臨海部の地域に工場が集中していった。

 ○企業は利益を最優先し,環境悪化を防ぐための取り組みをしなかった。

 ○高速道路などが整備され,鉄道に加えて自動車の利用が増えていった。

 ○大量消費・大量廃棄の時代になっていた。

 人々が「我慢するもの」が変化してしまった様子を,私は子ども時代に見てきたように思う。

 「便利」であることの方が,「不自由」であることより価値が高い。

 しかし,犠牲にするのは「欲」という精神的なものではなく,「健康な体」という実体を伴うものになった。

 そういう時期を過ごした人でも,平均寿命はのびているのだから,「豊かさ」信仰はなくなることはないだろう。

 環境への関心を,全世代が高められるような工夫はできないだろうか。

 肉体的な苦痛には耐えられるが,精神的な苦痛に耐えられなくなった人間が行き着き先はどんな世界だろう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より