9月20日 「空の日」に「ご都合主義」を考える
なぜ9月20日が「空の日」になったのかを調べてみると,12月19日でもよかったはず,という出来事が見つかる。
しかし,風の強い冬よりも,彼岸前のよい時期が選ばれたようである。
こういうのを「ご都合主義」と呼んでいいのかどうかわからないが,最初に飛行した人からすれば,「おいしいところを持って行かれた」というひがみを覚えるかもしれない。
土日が寒くなったからかどうかわからないが,コンビニでは「おでん」ののぼりを掲げて集客に励もうとしている。
ここ2日間は気温も高くなったから,たいして売れていないのではないかと心配になるが,
彼岸も過ぎれば「待ち遠しさ」に負けて秋のおでんに消費者は飛びつくのだろうか。
季節を先取りして,というより,季節感を失わせて,消費意欲を高めさせるというのは,古典的な広告手法である。
消費者は,生産・販売側の都合に合わせてマインドを左右される。
空に浮かぶ雲のように,ただぼんやり浮いているだけか,風で流されやすいのが消費者だということか。
空を見上げて思い浮かぶものが,近くの国が飛ばすミサイルだなんて物騒な世の中である。
性根の座った国が生き残るのか,指導者がころころ替わる「ご都合主義」の国が生き残るのか。
答えを教えてくれるのは,「天」か,「地」か,「人」か。
どこをとっても予断を許さない状況にある。
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