9月17日 キュートな先生
異なる言語を使う人間同士のコミュニケーションは難しい。
日本語の「かわいい」という,意味の定義自体が非常に困難だが共感的理解を伝えやすい言葉は,そもそも翻訳が不可能であるから世界共通語となる。
「一つの英単語」と「一つの日本語」が一対一対応にはならないことを,英語の習い始めにまずは徹底的に理解させてほしいのだが,「cute」って「かわいい」って意味でしょう,単純に決めつけてしまわれると,「キュートな先生」が「キュート」ではなくなってしまう。
子どもに「お利口さん」がいて,「おばかさん」がいるのと同じように,教師たちでも同じような分類ができる。
「おばかさん」は愛されて,「お利口さん」が愛されなかったりするのも同じである。
言葉以外で伝わりやすいものがこの日本にはたくさんあることを知らないと,
「いじめ」対応が難しいことがわからない。
言葉以外で伝わりやすいものがたくさんあることを知っているからこそ,
「表情」では伝わらないようにする能力を高めた日本の人々のことがわからないと,
「こういう表情をすればこうなりますよ」なんて教えてはならないことがわからない。
教育の世界で,このことがわかっているかどうかは,非常に重要なことである。
日本ではなく,アメリカで社会科教育を実践した方がいい人が,大学にたいさん生息していないだろうか。
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