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9月10日 教育は「苦闘」の日々

 「打てば響く」子どもたち。恵まれた環境にある教師と子どもは,決して少なくはないでしょう。

 雑誌が『学校が壊れる』という特集を組んでも,

 「先に壊れるのは政権の方でしょう」とツッコミを入れたくなる。

 もちろん,「どうして学校ではなく,教員というタイトルにしなかったの」と疑問を持つ教員もいるでしょう。

 「俺たちは被害者だ」と言わんばかりに。

 でも,一番大変なのは,子どもの方ではないですか?

 あの学習指導要領に示された目標を達成できる人を国は求めています。

 道徳の目標や内容をよく読んでみて下さい。

 社会科の目標や内容をご覧下さい。

 特別活動という時間にやるべきことはご存じですか。

 1年のうち,35時間を使ってできることって何でしょう。

 子どもは,与えられている時間以上の時間を費やして,様々な目標を達成しようと努力しています。

 「もうそんなに努力しなくてもいいよ」「頑張るな」と子どもに投げかけられるような職場をうらやましいと思う教師もいるでしょう。

 学校は,苦闘の連続です。

 教師はアクセルをふかすだけが仕事ではありません。

 ときにはブレーキ役にならないと,それこそ子どもは我を忘れて突っ走ります。

 なかには,坂道に投げ出して,あるいは崖から突き落として,教員はただ見ているだけ,という教育方法もあるようですが,子どもが苦闘した分だけ,あるいはそれ以上に教員の方も苦闘してこそ,お互いの信頼関係が築けるというものではないですか?

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より