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9月1日 避難訓練はだれのため?

 多くの学校で避難訓練が実施された日だと思われる。

 避難訓練は,「防災の日」にこだわる必要はないだろう,という意見もあるだろう。

 訓練は学校規模にもよるだろうが,集合(人員確認を含む)に5分程度,講話に5分程度で終わることができるから,いつでも実施することが可能である。

 ここで,教員の立場で忘れてはいけないことがある。

 「避難訓練」とは,だれのためなのか?

 「訓練」の対象はだれなのか?

 児童生徒をしっかり避難させることが,教員の仕事である。

 避難訓練は,教員の仕事分担や役割をはっきりと確認するという意味で,

 行政や管理職の立場からすれば,99%くらいは「教員のため」である。

 休み時間,部活動の時間中に避難訓練を行う場合もあるだろう。

 災害は授業中に起きるとは限らない。

 基本的には児童生徒の自主的な避難場所への移動を「訓練」することを「指導目標」とするのだろうが,あまりに固定的な「訓練」を繰り返すと,頭でできる正しい判断とは別の,誤った惰性の動きをしてしまう恐れもある。

 だから,教員による臨機応変の指導,誤った行動をとってしまった児童生徒の誘導など,課題はたくさんある。

 もめ事が起きるなら,避難訓練のときに起こった方がよい。

 大川小のように,実際の災害時にもめてもらっては困る。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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