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おいしいコメント

 久しぶりに,「舐めとんのか老害」さんという方から手厳しいコメントをいただきました。

 教師のコンピテンシーを考える上で,とても参考になるコメントです。

 部活と成績処理,学級経営の3点セットが例示されているあたり,中学校らしい感じがします。何も大阪府の特徴とは限りません。

>雑務は雑務だろw何様だよwww
>部活にしろ成績処理にしろ学級経営にしろやる事溢れかえってるのに、
>やれ手書きにしろ仕事を能率化するなとか頭大丈夫か?
>怨霊云々は老害テメーだよとっととくたばれボケナス
>あと日和ってねぇで米欄はよ開示しろハゲ

 大阪に限らず,この程度の言葉遣いは,教師の日常レベルの一般的な会話で発せられるものであるかもしれません。ただ,あの議員さんの言葉がネットで泳ぎだしている今,少々現場でも意識せざるを得なくなってきていますね。

 こういう言葉遣いの人間に教師がつとまるのか?という批判がしたい人にとっては,願ってもない「おいしい」サンプルになってしまっています。

 子どもがICレコーダーをどこかの雑誌記者に持たせられて,特定の教師が標的になりかねない時代になってきました。お互いに気をつけたいものです。

 さて,もとになっている記事を読み返すと,書いた当時の私の感覚は,今でも変わっていない気がします。

 学校の教師も多忙感がありますが,それよりはるかに忙しく,しかもある教師から見れば「雑務」でしかないことだけをしなければならない,という仕事はいくらでもあるわけです。

 教師がしている「雑務」にあたるものは,実は子どもはもちろん,教師自身を「守る」ために役に立つものが多いのです。

 一見して「くらだない」と思われるような文書も,いざというときに発揮する威力はとてつもなく大きかったりします。

 たとえば,いじめの聞き取りをした内容は,時系列や個別にきちんとまとめて,整理して教員間で共有化をしますよね。

 これがあるのとないのとでは,ある特定の場面では,決定的な違いになってきます。

 情報共有のための文書化などは,ある人から見れば「雑務」でしょうが,

 別の人から見れば「命綱」になる可能性があります。

 教員も公務員であり,文書主義という行政の大原則が適用される法的空間の住人です。

 「俺の頭の中に入っている」では,第三者には何もわかりません。

 みんな,心の中では同じようなことを思っているわけでしょうが,

 「いざ」という場面を経験した人と,未経験の人とでは,「雑務」の捉え方に雲泥の差があることをご理解下さい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より