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教師として一人前になるのに,12年はかかる

 最澄の「十二年籠山行」ではありませんが,何かをつかんでそれなりの仕事ができ,それなりの人間に成長するためには,12年かかる・・・・

 小学生までの子どもを指すこともできそうですし,

 6・3・3の小中高を卒業した人間を指すこともできそうですが,

 教員の私が一番しっくりくるのが,「教員として一人前になるのに12年かかる」ということです。

 学校はちょうど2校を経験して,中学校教師なら卒業生を3~4回送り出すイメージでしょうか。

 12年間で,どれくらいの管理職,同僚,研究者,子どもたち,保護者,地域の人々,行政の人たちと知り合いになれるでしょうか。

 私が「12年」という期間でそれなりに成長できたのは,この間に市町村,都道府県,文科省の3つの仕事ができたことが背景にあったかもしれませんが,子どもたちのやりとりの中で学んできたことが,それらの仕事をしていく上でのベースになったことが確かです。

 私は教員12年目に指導主事に任用されてしまいましたが,仕事と場所は変わっても,この年に「だいたいのことがわかった」感じになりました。小学校にも入るチャンスができた意義も大きかったかもしれませんが,最も重要だったのは,「わかったつもりになっている人たち」と自分との違いが明確になったことでしょうか。

 「だいたいのことがわかった」後の時間は,残念ながら「どうしてこんなこともわからないの?」と感じる場面のオンパレードで,それらがこのブログでの4500近い記事につながっていきました。

 「だいたいのことがわかった」という言葉の中には,「希望」と「諦め」が混在しています。

 12年より長く,同じ組織にいて,似たような仕事しかしていない人は,「希望」よりも「諦め」や「妥協」によって脳が占拠され,ろくなことをしでかさない,ということもよくわかりました。

 この国の教育をどうにかするために最も大事なのは,現場の教育管理職が「諦め」や「妥協」ではなく,「希望」を基本的なエネルギー源として仕事をすることができる環境づくりです。

 「諦め」と「妥協」を通り越して,後は「流す」ことで余生を送る人たちではなく,「希望」を追い求めるような人たちの声を集めてほしいと思います。

 この国の中ではだれも聞き入れてはくれない言葉でしょうから,どこかの国の指導者にでも救いの手を差し伸べてほしいものです。

 天下りや現役出向で甘い汁を吸っている連中ではない,本当に国の将来を考えることができる人はいないでしょうか。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より