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コンサート中の「暴行」事件

 ネット上のニュースで関心を集めているのが,コンサート中に起こった「暴行事件」である。

 記事はとてもソフトに報じているが,これがもし教師が行ったものなら,「即逮捕」だったかもしれない。

 世界的な音楽家が中学生にビンタをくらわす。しかも公衆の面前で。

 教育界の「時代の流れ」をご存じなかったのだろう。

 すぐに,以前に勤めていた中学校で聞いた,私の赴任前の「事件」を思い出した。

 運動会の最中に,サングラスをかけていた中学生を指導する場面で,「対教師暴力」と「体罰」が同時に起こったという。生徒はもちろん,参観の保護者たちが見ている前で,である。

 荒れていないときがない中学校だったらしいが,その後,どれだけ大変だったか,当事者としてもよくわかる。

 コンサートなどのイベントの趣旨は,「新・才能の芽を育てる体験学習」というものだったらしい。

 世界的な音楽家にビンタされるのは「貴重な体験」と言えるのかどうか。

 人前でビンタができるくらい,子どもとの関係が築けていたのなら,すごい「教育者」でもあるのかもしれない。

 テレビ局や週刊誌も「暴行」を受けた子どもに取材を申し込んでいるのかもしれないが,

 ことは丸く収まるものなのかどうか。

 その様子を目にした人たちにはとてもショックだっただろう。

 本人は悦びを覚えたとしても,ただスルーできることなのかどうか。

 人がそこまで怒るのは,よほどの理由があるのだろう・・・・という温情というか忖度というか,強い側への気持ちの寄り添いはみんな得意だが,逆はそうでもない。

 時代としては,「教師以上に教師らしい人だ」という評判を許さない空気があるだろう。

 昔は,教師に殴られた子どもは家でも親に殴られるから,内緒にしていた。

 今は,「殴ったら終わり」の時代である。

 世界的な音楽家は,今,どんなことを思っているのだろう。

 引き受けたこと自体を後悔しているのか。

 殴ったことを後悔しているのか。

 子どもに期待したことを後悔しているのか。

 「才能の芽」はこうしたら育つ,という「理論」などは存在しないだろう。

 だから,有名人にすがりつく。

 さてさて,だれが今回のことの責任をとることになるのだろう・・。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より