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観点別評価の「C」とは,「努力を要する」という意味で,評定の「1」とは,「一層の努力を要する」という意味です。

 通知表(学期の終わりに,担任の先生から手渡される,子ども本人や保護者に向けての学習や生活に関する「評価」の「お知らせ」)の記載は,あくまでも「仮」のもの。

 「本物」は,学年が終わるときに作成される「指導要録」である。

 学期の途中では,まだ学習指導要領に示された目標と内容の「一部」しか実施していないわけだから,「途中経過」としての「評価」や「評定」が知らされるわけである。

 評定の「1」については,どのようなメッセージが込められているのか。

 数字が気になるのなら,「一層の努力を要する」と言葉で表現してあげればよい。

 「一層の努力を要する」必要があることに気づけない子どもはいないから,納得するしかないだろう。

 この「評定」は,「観点別学習状況の評価」をもとにつけられることになっており,

 すべての観点で「C」=「努力を要する」という評価がついた場合には,

 評定は「2」=「努力を要する」か,「1」=「一層の努力を要する」のどちらかとなる。

 保護者に理解が得られにくいのは,すべて「A」なのに「5」がつかないケース。
 
 「A」はあくまでも「4」という評定と同じ意味の評価(「十分満足」)だということが理解されにくい。

 だから「4」をつけたい生徒には,わざわざどれか1つの観点だけ「B」にしてしまうという学校もある。

 こういう「措置」は「苦情を避けるため」だけのものであって,もし本当だったら「不正な操作」である。

 こうした評価や評定の説明は,入学時や,学期の始めに保護者と子ども本人の両方に伝えておくのがよいだろう。

 中学校の全課程を修了したときに示される「評価」や「評定」は実は存在しないの(第3学年の「評価」「評定」として出されるのみ)だが,各学年の推移を見れば,だいたいわかる。

 自分自身の学校生活をふり返って,子どもでも自分の「評定」がだいたいわかる,という教育をすることが,「教師」と「子ども」がつながっている学校だったという証拠になるだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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