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子どもが学んだり成長したりするチャンスを奪う親・教師・社会

 タイトルの「子ども」の部分は,「親」や「教師」,「社会人」をあてはめて考えることもできる。

 成長のチャンスを奪われているのは,「子ども」だけとは限らない。

 学んだり成長したりするときに,欠かせないものは何か。

 それは「良質な失敗」である。

 アクティブラーニングの失敗事例は,下記の報告で示されたものが有名である。

>『アクティブラーニング失敗事例 ハンドブック』 文部科学省「産業界ニーズに対応した教育改善・充実体制整備事業」中部圏の地域・産業界との連携を通した教育改革力の強化 平成26年度 東海 A(教育力)チーム成果物(参加校:愛知産業大学、椙山女学園大学、中部大学、豊橋創造大学、豊橋創造大学短期大学部、名古屋商科大学、三重大学)

 教員の過剰介入と介入不足,学生の雑談,浅薄な議論,独断選考などは,「グループワーク」を無機能化させる失敗原因として示されている。

 どこからどこまでを教えるか,どこから考えさせるか,これは,グループを構成するメンバーの学力に左右されることは当然である。

 一般的な教育のプログラムは,「学力があまり高くない」子どもは実は基準として想定されていない。

 現実問題として,中学校の教科書が読めない小学校7年生がたくさんいる。

 定員割れしている大学の学生の学力は測定不能である。

 だから,アクティブラーニングそのものを成立させようとすると,学力が高い小学生がやっているレベルのことをどうにかこうにか大学生がこなせる,などといった課題が生じるのは当たり前のことである。

 学部生より大学院生の方が学力が低い気がするから,大学院生より中学生の方がよい活動をするというケースも多々あるだろう。

 アクティブ・ラーニングをした方が,しない方よりも成果物の質が高くなるという保証はどこにもないことは明らかで,『学び合い』でも集団が10人以下では適用できないと言っているそうである。

 アクティブ・ラーニングそのものが,子どもが学んだり成長したりするためのチャンスを奪う機会になる可能性があることを,教師なら誰でも知っているが,そうでない人たちへの注意喚起ができる著名人がたくさん現れてほしい。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より