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「これだから,今の指導主事はダメなんだよね」

 東京都の場合,指導主事になるには「教育管理職選考」にパスしなければならない。

 平成28年度は,受験者数450人,最終合格者数418人。

 倍率1.1倍。四捨五入しないと,1.07655・・・倍となる。

 私のように,自ら希望したわけではないのに受験させられて,合格した人も少なくないだろう。

 「これだから,今の指導主事はダメ」と言いたいわけではない。

 418人すべてが指導主事になるわけではもちろんない。

 制度が始まったときは,「ジョブローテーション」をしながら,

 教育の「ゼネラリスト」を育成する,というお題目だった。

 しかし,10数年前,私もそうだったが,指導主事しか経験できない人もいたし,

 行政を経験できない人もいた。

 「指導主事は,講師として学校に呼ぶ価値がなくなった」という声は,10年以上前から言われていたことである。

 教科指導の実績がないことだけでなく,やはり「専門性」が高くないことがネックになっていたようだ。

 小学校では,指導主事より「カリスマ教師」の方が需要が高い。

 どうして自分の学級がある平日なのに,講師として外に出続けられるのか不思議なくらい,人気のある人もいる。

 「専門性」の高さで言えば,大学のセンセイがよいか,となると,これが全くそうでもない。

 大学のセンセイの中には浮き世離れしすぎている人がいて,役に立たない大学の授業を思い出させられて嫌な気持ちになるだけで終わる研修会もある。

 また,大学のセンセイがとても実践的な内容を示しても,それを教師が理解できるレベルにないという問題も深刻になっている。

 教員免許更新講習はなくてもよいという人もいるが,なければ困る,という人が増えている現状も知っておくべきだろう。

 最近,教育学部出身の若い教師や,大学の教育学部のセンセイが,教育内容ではなく教育方法にこだわり,現場を混乱させているのも気がかりではある。「アクティブ・ラーニングをやらなければならない」と焦らされているのは,「それでしか活躍できない人たち」が熱心に仕事をしているからである。

 文科省は,わざわざ「慌てふためくな」と通達してきているが,そもそも学習指導要領が示す内容は高度すぎて,それを実現させる教育を受けてこないで教師になった人が増えている中,「やってこなかったこと」を「やれていることにしなければならない」と焦る学校が増えるのもいたしかたない。

 実際の学校がどうなっているのか,調査によって実態を把握している国立教育政策研究所は,公開すべきデータをすべて公開しているのか,その責任を問われるべき立場にいる。

 さて,指導主事の話が脱線してしまっているが,

 「これだから,今の指導主事はダメなんだよね」という声が大きくなっているのは,

 「指導主事が萎縮していること」にも原因があると考えられる。

 それは,文科省の教科調査官も同じである。

 ある道徳の調査官が,「道徳の22の項目をすべてやっている,と言っている学校は怪しい」と発言していたそうだが,そういうことが言える人が非常に少なくなっているのではないか。

 何事にも,「トップの意向を忖度して動く」という行動原理が染み付いてきている気がする。

 「この人は,本心でこれを言っているのだろうか」

 「自分が言っていることの意味が本当に理解できているのだろうか」

 と疑われないように強がる指導主事の姿だけは,目にしたくはない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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