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伝える技術に溺れるよりも,真摯な話しベタであれ

 このタイトルは,NIKKEI STYLEの出世ナビ「スタンフォード 最強の授業」というシリーズで,ある先生が語っている言葉である。

 「真摯な態度」は教えられないが,「伝える技術」ならある程度は教えることができる。

 だから教育の世界でも,「伝える技術」を伝えようとする人たちが少なくない。

 しかし,日本には,「伝える技術」を超えて,「伝わる」ものがある。

 「教師が教えなくてすむ教育理念」に飛びつく「教材研究をしたくない教師」「教えることが下手な教師」が近くにいれば,すぐにわかるだろう。

 主語だけでなく,目的語までが省けてしまう日本語の特性を持ち出すまでもなく,

 本来は「伝わってほしくないもの」までが「伝わってしまう」のが日本におけるコミュニケーションの特徴である。

 もちろん,日本以外の国に「以心伝心」などあり得ない,と言いたいわけではない。

 日本に長くいなくても,帰国子女が日本の学校の居づらさを感じることができるのは,特定の感情が容易に「伝わってしまう」ほど,言葉以上の「空気」が人間関係を支配できる国だからである。

 日本人が外国で暮らすときは,この「空気」の呪縛から解き放たれるが,逆に,「空気」は読むものではなく,「つくる」ものになっていく。「伝えないと始まらない」のがコミュニケーションの基本だから,「伝える技術」を学ばないと困る人も多いだろう。

 しかし,その技術がいかに優れていようと,本心から「伝えたいもの」「伝える価値があると信じているもの」がなければ意味はないわけである。

 タイトルに示した記事は,そういう趣旨の内容だった。

 一方で,真摯な態度でも「話しベタ」では全く通用しない職業もある。

 政治家や行政マンなどである。

 「本心で話しているわけではないな」と強く感じる政治家が増えてきた。

 私が経験した指導主事という職業もそうだが,決して「本心」を明かしてはならない場面も少なくない。

 しかし,「本心」から語らない人間を信用できる人はいないわけである。

 だからいかにも「本心」から語っているように見せかけられるかが,政治家や行政マンの才能と判断される。

 地獄に落ちて舌を引っこ抜かれる因果な商売だが,「秩序を守るための嘘」がまかり通る社会を変えるためにはどうしたらよいのだろうか。

 地位を失ってでも,「本当のことを言う」ことの素晴らしさに感銘できるのが,ドラマなどフィクションの場に限られていることが悲しい。どれだけ多くの人が,こういうドラマを見て,自分を慰めているのだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より