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足に鎖でつながれた重りの捉え方

 子どもがわくわくしながら本当の乗り気で取り組む課題を評価する方法がある。

 同じ設定の作業を,人の力を借りないでやらせること。

 「人の力を借りながらやるべきこと」と,

 「人の力を借りずにやるべきこと」の区別を『学び合い』はどのようにしているのだろう。

 その選択も子どもを信頼して任せているのだろうか。

 『学び合い』が楽しいだけなのか,

 楽しみながら学習をして様々な能力を習得しているのかがわかるテストをどんどん開発してほしい。

 「子どもだまし」の指導案をたくさん見せられて,辟易している『学び合い』である。

 子どもをだませるのも,せいぜい小3くらいまでか。

 指導力のない教師が行う一斉授業を参観していると,

 子どもたちの足に鎖でつながれた重りが見えてくる。

 やはり同じように,「子どもだましの課題」に「全体主義的精神」で取り組まされている子どもたちの足にも,同じようなものが見えてくる。

 教師の仕事は,子どもの足から重りをはずしてあげることではないか。

 もちろん,それは「自由に立ち歩かせる」ことに限った話ではない。

 「開放感にあふれた一斉授業」というものに,一生出会うことなく学校を去らなければならない人がいるのは本当に気の毒なことである。

 たった1年で挫折して,「本を読んで学んだ」と紹介している人たちの言葉が,ほとんどみんな同じである。

 まるでだれかのなりすましブログのように。

 本当に現場を知っている人間と,現場を想像して書いている人間が語る現場は全く違うことがわかっていないらしい。

 重りを鎖でとりつけられた人たちが苦しみから解放されている姿が逆にとても痛々しい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より